Taylar-Made MUSCLE M-Benz 500E
P164〜P167 Classic & Sports car June 2008
『テイラーメイド・マッスル』
メルセデスとポルシェ双方の優れた技術力が融合することで、高度に緻密な創造物となったといわれる500E。
果たしてそれは過大評価か否か。アンドリュー・フランケルが問う。
写真:マルコム・グリフィス
メルセデスベンツ500Eは、最高に王道をいく市販車であり、20年以上前に走り始め、英国車乗りがほとんどまったく気づかないうちに目の前を素通りしたモデルだと言って差し支えないだろう。かつてカーディーラーのチャールズ・アイアンサイドが所有する1台、無垢の1993年式モデルに遭遇してから、今日に至るまで、私は真のエンスージァストといえる友人たちを相手に、このクルマについて語り続けてきた。この会話は、いつもお決まりの流れをたどる。人は「500E」と耳にすると、ただちにどこに分類すべきか分かるものだ。それはまるで厳密な命名法に則った学名のようである。とくに「500」という部分に、誰もがピンと思いあたる(確かに、それは明らかに5リットル・V8エンジンを意味している)。その一方で、「E」もまた明白なものであり、これはミッドサイズ・サルーンのEクラスに属することを示している。しかし、この2単語を1つにつなげてみると、みな眉間にしわを寄せる。そして「E500なら、今日1台売りに出ていたよ」などと言う。「いや、それじゃない」と私が言えば、「え、500Eっていったい何だよ?」という具合に会話が進行するわけだ。
さて、今あなたは1台の500Eを見ている。では、誰にも負けない情熱を持つ大変有名なカーコレクターでさえ、なぜ自らの華々しいコレクションに500E加えようとしないのか、その理由は分かるだろうか? 近寄ってみれば、あなたもきっと気づくはずだ。その理由とは、ハンドルである。正確を期すなら、車体の左側にあるハンドル位置のせいだと言うべきだろう。
ボンネットの下でV8エンジンが脈動していることから、メルセデスベンツ社は、ステアリングコラムを車体右側へ潜らせるために再設計するコストは、右ハンドル市場でのこのモデルの売上げ見込みの金額を超えてしまうと判断した。そのおかげで、このモデルはメルセデスベンツの公式ラインナップとして英国で売りだされたというのに、販売期間の3年間のうちに海峡のこちら側に里親を見いだすことはできたのは、生産総数10,479台中たった7台のみだった。
その理由も、あなたはすぐに納得するはずだ。当時から現在に至るまで、500Eが異国情緒あふれる華やかさの一端を担うことは一度もなかったからだ。それはスリーボックスのメルセデス・サルーンカーではあるが、ドイツの各ターミナル空港の外に1,000台ばかり列をなしているあのメルセデスとは、(少なくとも見た目は)ちょっと違うからである。こんなクルマに5万72,220ユーロも支払い、「誤った側」のシートに座らされ、しまいには売りつける相手探しに奔走するなどというのは、変わり者というレベルを超える行為だったに違いない。
最後のトラブルについては、このクルマを売るなんてことを試みないというシンプルな方法で私はうまく回避してきた。ある日、ちょっとした好奇心からこのクルマを試そうと運転してみた。実は1992年以来、それはどうしても目をつぶることができない(そして、ただ走らせておくわけにはいかない)と思っていたモデルだった。そして一度運転してみたら、それは驚愕と畏怖をもたらすものとなった。これは史上最も素晴らしいメルセデスのロードカーである。少なくともこの国においては、ほぼ完璧にはじかれ者であったとしても。
500E誕生をうながすきっかけとなったのは、シュツットガルトがハイパフォーマンスなサルーンカーの需要に気づいたことだった。彼らの目論見は、BMW M5が長期にわたり独占してきた市場からパイを1切れ盗み取ることだった。実際は、このモデルはM5に直接対決を挑むライバルとはならなかったし、そもそもそのように造られてもいなかった。彼らが取り組んだのは、大人4名とその荷物を積みながらも、とんでもないスピードですっ飛ばしながら国や大陸を横断するという、スリーポインテッド・スター流の手法を示すことだった。BMWは、目的追求のためとあらば、洗練された乗り心地などというものは喜んで犠牲にしたから、メルセデスが入り込む隙間は十分に残っていた。こうして誕生した挑戦者は、M5に一瞬も引けを取らないスピードで突っ走りつつも、結果のために快適さを切り落とすなどということは絶対にしないクルマとなった。
しかし、1つ問題があった。
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